創業者である親父と話して感じたこと

先日の店休日の夜に、親父と話す機会を作っていろんなことを話しました。
ほとんどお店のことについてですが、その話の中で印象に残っていることについてブログに書いておこうと思います。

話の最初は、現状を聞いてもらいたいというのが一番でした

ここ数年で取り組んでいることやその経過実績についての決算資料など見ながら、これからこういうことをやろうと思っていると。そして現状はこうですという経過報告も含めて話しました。
ここ数年、近隣にいろんな店舗さんができて、その中でどうやったらお客様に来てもらえることができるかってことを、自分なりにやってきたことを聞いてもらいたかった!ってのが大きかったかなぁ。
これまでも創業者の親父とは色々と話してきたけど、「これからはお前がやるんやから、俺は口出しするのは控えるわ」という親父の言葉に、僕は何とか応えたいと思っています。
創業1975年のウチですが、僕が生まれる前年に和菓子職人としてやっていた親父が、うどん屋を始める経緯について改めて話してくれました。

戦後間もない頃、親父は・・・

親父は昭和12年(1937年)生まれ。第二次世界大戦中は親父の幼少期(終戦の時に8歳)。僕のお祖父さんは昭和18年頃に戦地で腎臓を患い、香川県善通寺の病院で入院生活を送っていたと。親父はお婆ちゃん(父の母)が看病しないといけないからと、小学校2年生の時にお祖父さんの里である愛媛県川之江で1年間ほど小学校に通っていたと。お祖父さんは8人兄弟の末っ子で、年の離れた一番上のお兄さんと二人で、長男さんとお祖父さんとの間の子供さんは皆、幼くして亡くなったことを聞きました。
お祖父さんが入院している時に、観音寺から自転車で善通寺の病院に面会に行っても、お祖父さんは「お前、ここで何しよんや?学校に行かないかんやろ?」って、いつも厳しく言われたそうでして。親父はそう言われるのが辛かったけど、日頃は会えないお祖父さんの近くに居られることのほうがよほど嬉しかったらしく、その後も夏休みの時など利用して、泊まりがけでお祖父さんに付き添っていたそう。

そのお祖父さんも親父が中学校2年生の時に亡くなり、親父が中学校3年生の時に担任の先生から「将来は進学するんか?」と問われたけれども、9歳下の弟さんもいる状況ではとても高校へ進学することも考えられないほどの家庭環境だったから、「自分は仕事して家計を助けます!」と言って就職することを選びます。

親父は、和菓子職人の見習いを始めます

親父が中学を卒業する前になって、紹介してくれたのが和菓子作りの仕事。当時は丁稚奉公といって、見習いの人は、専門職の方が仕事する脇について見て覚える。そう、見て覚えることがその立場での仕事。でもお給料とかはもちろんもらえず、3年間ほどは無給だったとか。親父からその話を聞いている時に、なぜ困窮しているのに無給でもアリだったのか?を聞くのを忘れていましたね(笑)

丁稚奉公しながらも、徐々に仕事をできるようになり、そこで初めてお給料をもらえるようになったとか。当時の金額で2000円くらい。それが一年経つと更に1000円加算してくれて、その翌年には更に1000円加算してくれて。

20歳くらいの時に、三重県熊野市での仕事の話が舞い込み、そこでまた和菓子の仕事をします。当時そちらの社長から「月給10000円出そうと思う」と言われ、その金額提示にビックリして親父は「5000円でも十分です!」と言ったとか。そして間をとって7000円の収入を得ることができました。その収入から実家へ6000円もの金額を仕送りして、母親と弟さんの生活資金に当てていた。あの時に10000円の申し入れを素直に受け取っていれば良かったと、先日は笑って話していましたね。

香川に帰ってきて和菓子の下請けをするも、このままでは・・・

親父が香川に帰ってきて、以前と変わらず和菓子を作るといった仕事があるものの、冬場は安定した仕事が見込めるものの夏場は特に仕事量が減り、それが収入に直結してきました。歩合というのもあり、作ったら作った分だけ収入になるからと、夜の2時3時まで仕事していたと。親父も結婚し子供も授かり大きくなってきて、「このままで子供達を養っていけるんだろうか?」という不安が拭い切れなかったとも言ってました。和菓子の下請け以外で、安定した収入を見込めるのはないだろうか?と考え始めて、当時における趣向品である和菓子を作るということから、もっと日常的に消費してもらえる(買ってもらえる)ことで、生計を立てることはできないか?ってところで、うどん屋をやってみてはどうか?と考え始めます。親父は和菓子職人としての経歴から、うどん屋としての道を選び進むことになるのです。

ここらの実情については、僕と11学年と7学年離れた姉二人たちのほうが僕より詳しいと思いますが、今のここでは僕優先の内容で失礼しますね(笑)

創業1975年7月20日

両親とお祖母さんとでスタートしたのが、うどん屋七宝亭。
当時看護師さんだったお袋も親父に「一時的に手伝ってくれ!」って、七宝亭がオープンした2週間程度手伝う予定が、勤務していた病院を辞めて結果的に創業メンバーに。それくらいたくさんのお客様が来てくださった!その当時を知るお客様が僕に、「その頃は〜〜〜」と話してくれる今も、とても有難く思います。ちなみに僕の誕生日は1976年2月3日。つまり、お袋のお腹にいる時に、うどん屋七宝亭が船出したのでありまする!

 

両親たちは、いろいろと、かいくぐって来た!

あえてここで「かいくぐって来た!」という表現を使うのは、これまでが順風満帆ではなかったということを伝えたいから。子供の時の僕では想像もつかない困難にもめげずに立ち向かい頑張ったからこその今。

「あの時はこうで!」
「こうやっったけど、ダメだった」
「こういう風にしてみたら、上手くいった」

etc…

それがウチの歴史。そして両親たちが頑張って来た証。それの延長で僕はさせてもらっている。

 

初めて認めてくれたのかもしれないこと

親父といろいろと話していて、その中の言葉が印象的だった。

以前に僕は「親父がやっていた頃とは、いろんなことが変わって来ている。そんな過去の経験だけではこれからはやっていけない。」と、そんなことを言っていました。でも、その言葉を言うには、両親の頑張りやその当時の流れをもっと自分が聞いてみると姿勢が欠如していたと思う。

親父から言ってくれたことはここでは書かないけれど、
でも僕の中では自信にもなったし、嬉しかった!!

ちょっとは、認めてもらえた感じ(笑)

 

これからその気持ちに応えられるよう、たゆまず努力しようと思う!

1歳になっているかどうかくらいの僕と親父。43年くらい前(笑)

 


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1976年生まれ。香川県観音寺市で1975年創業の七宝亭(しっぽうてい)の2代目です。 好きなことは、ドライブ、サッカー観戦、お酒、うどん店めぐり。マックスブログ塾13期。ニックネームは【りんご】です! 椎名林檎ちゃんを好きだからー(`_´)ゞ